地域社会とのつながり
10年前のスタート時は、「町の活性化」は考えていませんでした。
ただただ、「戻ってきたアユを上流まで登らせてあげたい」。
それを続けるうちに、その熱いその想いをまじめに追いかけると、自然に発生してきたのが「町の活性化」でした。いつの時代も「主産物を追いかけると副産物」がついてくる。それは、その後に大きく広がりを見せることになりました。
きっかけは7年前に、20年ぶりに町の小さな2級河川にアユがもどってきた。それが新聞、テレビで大きく取り上げられ、多くの人が町外から押し寄せました。「投げ網」「刺し網」、甚だしいのは「車のバッテリー」。これでは消滅してしまう。
私たちははじめに「漁業権の設定」をすることで動きだしました。
しかし、「こんな小さな川で誰が管理するのか」「その収支は成立するのか」と悩み続け、いろんなスペシャリストの方々に相談し、行き着いたのが「環境保護区」として守ることでした。
その後、彼杵町に3年がかりで6ヶ所の看板行事を設置していただきました。そこから「彼杵のかっぱ公園川まつり」「しじみ、どじょうの増殖」「筑波大学の受託研究」等、行政の尽力により、思わぬ方へ展開していきました。それが自然と町の活性化、まちづくりへと結びついたのです。
「なぜそうなったか」、答えは、川は県の河川課、町の土木課、町民課環境衛生係、大学などの研究機関、コンサルタント、地元自治会、その周辺に住まれる町民の方、いろんな方の総合力です。川の先住民やアユを守ろうとしたら、自然と多くの方々とつながっていきます。 アユを守る事の産物は、「副産物」として「水辺からのまちおこし」へ大きく広がり、流れています。